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判断基準を持つということ 2.自分の判断基準を持つ

2013年3月12日 火曜日

 昨日紹介した映画「エクスペリメント」は、しっかりとした自分の判断基準を持たないと突発的な時にきちんとした判断ができないということが表現されています。
判断基準とは、やってい良い事、悪い事の見極めの基準です。あなたは何を基準に判断するでしょうか?

 私の場合、いろいろ変遷があって、現在は「世のため人のため」が判断のベースとなっています。これは稲盛和夫さんの強い影響から生まれ、渋沢栄一、新渡戸稲造、孔子などに触れて強固なものとなってきました。
また、自分の周りのいろいろな人達の人生を見て、どんな判断基準の人がどんな人生を送っているのかも参考にさせてもらっています。

 最初の話に戻りますが、自分の判断基準がなければ、他の人の判断基準に頼ることになります。
身に付いた判断基準ではなくマニュアルの基準に頼っていては、マニュアルにないケースに遭遇すると判断に迷います。

 そして、会社を揺るがすような一大事というのは、ほとんどの場合、事前想定されていないことですので、普段からどのような判断基準を培ってきたか試される時です。




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最近あらためて大事だと思うこと 6.修養、克己ということ

2013年3月9日 土曜日

 今週は、百田尚樹「海賊と呼ばれた男」より、”徳三郎は鐵三を含む八人の子供たちに「一生懸命働くこと」「質素であること」「人のために尽くすこと」の三つを厳しく教え込んだ。”、という一節を紹介し、そこからいろいろ思ったことを書いてきました。

 世の中にはたくさんの人がいて、それぞれ千差万別の生活を送っています。その差はどこから生まれてくるのでしょうか。

 肉体的な能力の差は、ハンディのある人でも活躍していることを考えると、大した問題では無いように思えます。
生まれ育った環境が一因ということもあるでしょうが、自分一代で身を立てた人もまた多くいます。

 多くの人を動かすリーダーは、その言動の素晴らしさが多くの人の尊敬を得、リーダーとして認められます。
そして、そのリーダーの言動は、そのリーダーが持つ考え方により決まります。

 新渡戸稲造の「修養」(たちばな出版、1300円+税)の冒頭で、新渡戸は「大学」より次の文章を引用しています。

 「古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、まずその家を斉(ととの)う。その家を斉えんと欲する者は、まずその身を修む。その身を修めんと欲する者は、まずその心を正しくす。その心を正しくせんと欲する者は、まずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は、まずその知るを致す。知るを致すは物に格(いた)るにあり。」

 最後の「知るを致すは物に格るにあり」をネットで調べると、それは、「格物致知」という故事成語のもとであり、その意味は、「万物は天理によって貫かれており、動物・植物には『物の性』があり、理性を持つ人間には『人の性』があるのだが、人の性としての本質である良知を研鑽しようとするならば、まず物の性を知るために物に到らなければならないのである。」とのことでした。

 つまり、世の中の原理原則を知り、意を誠(誠とは言を成すと書き、嘘、偽りのないこと)にし、心を正しくして、本能ではなく心で身を修める(これを克己という)ことが必要で、そうできれば家を整え、国を治めることにつながっていくということです。

 まずは「思い」「心」「考え方」が大事であり、そのためには万物の天理、世の中の原理原則に触れる、知る、悟ることが必要だということでしょう。

 「万物の天理、世の中の原理原則に触れる、知る、悟る」とは大げさに聞こえますが、どういう考え方でどういう言動の人がどう生きていたか、簡単にいえばそれを知ることでしょう。




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最近あらためて大事だと思うこと 3.「海賊と呼ばれた男」国岡鐵三の思想の源流

2013年3月6日 水曜日

今週は、百田尚樹「海賊と呼ばれた男」より、”徳三郎は鐵三を含む八人の子供たちに「一生懸命働くこと」「質素であること」「人のために尽くすこと」の三つを厳しく教え込んだ。”、という一節を紹介しています。

この、「一生懸命働くこと」「質素であること」「人のために尽くすこと」という考えは、京セラ、KDDIの創業者でJALを再建した稲盛和夫さんにも共通する思想です。
そして、それは松下幸之助さんにも、新渡戸稲造が書いた「武士道」にも、またその解説書を書いた台湾元総統である李登輝さんにも、日本実業界の父といわれる渋沢栄一にも、そして二宮尊徳、石門心学の石田梅岩、陽明学の王陽明、さらにたどれた孔子、孟子の「孔孟の教え」に通じるものです。

 この思想は第二次世界大戦の敗戦までは、家庭にも学校にもしかりあったものだと思います。そして、その教えで育った人が敗戦後の日本の復興、そして高度成長を支えてきたといえます。

 しかしながら、バブル崩壊後の失われた20年ともいわれる現在、このような思想はごくごく一部の人のものとなっています。
働くのは収入のためであり、自分達の生活を豊かにするには収入が必要だという考えが一般的です。

 どこでこのように日本人の思想が変わったのでしょう?

この続きは、明日お話します。




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明治の精神を考える

2012年7月22日 日曜日

 本日7月16日、『今、改めて「明治の精神」を考える』という日本会議北海道主催の講演会に参加してきました。
参議院議員の山谷えり子さん、日本政策研究センター代表の伊藤哲夫さん、慶應義塾大学講師の竹田恒泰さん、そして元総理大臣の衆議院議員安倍晋三さんらが講師でした。

 安倍さんはつねづね「戦後レジームからの脱却」という言葉を使っています。レジームとはもとはフランス語で「体制」の意味ですから、「戦後レジームからの脱却」ということは、「戦後体制からの脱却」という意味であり、では「脱却」してどこへ行こうとしているのかということが、今日の講演で、「明治の精神に立ち返ろう」ということだと理解しました。

 私はつねづね近現代の日本において、次元が変わるような大きな変革があったのは明治維新と第二次世界大戦の敗戦だと考えていますが、この二つの大変革にはどのような違いがあるのでしょうか。敗戦後の世界は現在の世界ですので、明治維新の前後、江戸時代と明治時代の違いから「明治の精神」について、今週、整理してみようと思います。

 ちなみに今年は明治天皇崩御100年にあたる年で、明治天皇をお祀りする北海道神宮でも写真展などのイベントを開催しています。
http://www.hokkaidojingu.or.jp/news/pdf/panelten.pdf

 また、今日は「海の日」でしたが、明治天皇が初めて船で巡幸され、明治9年の7月20日に青森から函館を経由して横浜に戻られた日であり、それを記念して7月20日を海の記念日とし、その後祭日となり、現在のハッピーマンデーの第3月曜日となりました。

 余談ですが、講師の竹田恒泰さんは明治天皇の玄孫(やしゃご:ひ孫の子)だそうです。

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 明治維新は、それまでの「士農工商」という身分制度を崩壊させました。身分が一番上だった「士」が無くなったのです。
官軍側の武士であれば、まだ役人になる可能性があるかもしれませんが、幕府側についた藩の武士たちはどうやって生きていくかを真剣に考えなければなりませんでした。

 英語で「武士道」を書いた新渡戸稲造や、これまた英語で「代表的な日本人」を書いた内村鑑三は、これからの世界は新しく欧米の技術を身につけるより生きる術がないと考え、まず英語学校に学び、そしてできたばかりの札幌農学校の2期生として海外の技術を学びました。

 また、渋沢栄一は、これからは「商」の時代だと考え行動しますが、この話はまた明日にします。

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 現在でも、いつの時代でも、変革の時代、激動の時代といわれます。そのような次代を乗り越えて行くには、常にこれから先がどのように生きていくかを考えていく必要があるということを先人たちは教えてくれます。
毎日毎日の日々の出来事に対応するだけでは、いつもの間にか時代遅れとなって、世に取り残されてしまうことになります。

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 「士農工商」という身分制度のトップの「士」が無くなった明治維新、渋沢栄一はこれからの時代は「商」、商人の時代だと考えました。

 商人、ビジネスマンが世を引っ張ってくためには正しい考え方としっかりした実利主義が必要で、それが「論語と算盤」という言葉の由来でしょう。
二宮尊徳も「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」といっています。

 話を渋沢に戻しますが、その志高き商人を育成するにはそのための学校が必要であると考え、東京高等商業学校、のちの一橋大学を設立させました。

 高等商業学校、官立(国立)の高商は、その後、神戸、山口、長崎に作られ、小樽商科大学の前身である小樽高商は全国5番目の官立高商となります。
(東京高商と神戸高商の間に府立の大阪高商が建てられています。)

 渋沢栄一は500以上の企業を起こしたともいわれていますが、それもこれも、これからの日本に必要だという思いによるものでした。

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 7月16日の「明治の精神を考える 1.講演会に参加して」で紹介した北海道神宮でも写真展のイベント(http://www.hokkaidojingu.or.jp/news/pdf/panelten.pdf)ですが、そこには明治天皇によって示された教育勅語も掲示されていました。

教育勅語

 明治維新後、近代国家の建設のためには人材育成が急務であると、明治5年に学制を公布し、全国に学校を設置して義務教育の制度を確立し、教育の普及に勤めたのですが、文明開化の風潮で洋学が重んじられ、我が国伝統の倫理道徳に関する教育が軽視される傾向があり、これを憂いた明治天皇が明治23年に徳育の振興が大切であるとこの勅語を示されたそうです。

 最近は教育勅語の現代語訳があちこちで目に入るようになってきました。国民道徳協会による現代語訳を紹介します。

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私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 

  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

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 「明治の精神を考える」というタイトルであれば、富国強兵に触れなければなりません。
資本主義経済を発展させ国の財政を豊かにする「富国」と、軍備を充実させて欧米列強に負けない武力を持つ「強兵」、日本は勝ち目の薄い日露戦争に勝利し列強の仲間入りを果たしました。
しかし、この流れは第二次世界大戦の敗戦へと続きます。

 7月16日の「明治の精神を考える 1.講演会に参加して」で紹介した講演会では、冒頭に、国旗「日の丸」に向かって起立し、国家「君が代」を斉唱しました。
テレビで見るスポーツの国際大会等での「君が代」斉唱のさい、口が動いていないスポーツ選手を見るたびに、「おまえは日本人か!」と思う私ですが、最近、日の丸に起立できない人もいてもおかしくないという思いをもつようになりました。

 7月10日の「最近気になった言葉 3.生きがいのない話」で紹介した、木村浩子さんの「おきなわ土の宿物語」(小学館 1995年 1600円+税)では、第二次世界大戦末期の沖縄の様子が述べられています。
洞窟に軍も住民も避難したさい、赤ん坊の泣き声に、米軍に見つかる方静かにさせろといわれ、母がわが子の首を絞める様子、日の丸のもと「天皇陛下万才」と叫びながら自決する人々の様子が述べられています。
若者が戦地に向かわされ、身体障害者や老人、子供など生きる力の弱いものから切り捨てられるという一面を戦争は持っています。

 身内が戦争の犠牲になった人たちの中には、日の丸に向かい合いたくないという感情を持つ人もいるでしょう。

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 鎖国をしていた江戸時代から、欧米に追いつけ追い越せとなった明治時代。
外部環境の変化に気づき、それに対応するために内部を変化させていったということです。
これは経営学でいうコンテンジェンシー理論(環境適合理論)です。

 コンテンジェンシー理論では、外部環境と内部環境を取り持つものはコンテクスト、具体的には目標や規模や技術ですが、つまり、外部の変化に対して組織がどのような目標を立てるか(それには環境と継続的に相互作用を交わしてきた結果としての規模や技術が影響する)、それが内部環境である組織構造と個人属性、組織過程に影響し、組織としてどうのような成果を上げるのかに影響するといっています。

 その意味では、グローバル化が進めば進むほど、どの国も世界という外部環境の変化に対応することになり、同じ方向の目的を持つのであれば、徐々にどの国もおなじような内部構造(組織構造、個人属性、組織過程)となるのかもしれません。

 となると、国際社会の中で日本は日本として独自のどのような目的を持つか、それが日本人らしさを担保するものとなるといえるのでしょう。

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明治の精神を考える 2.士農工商の崩壊

2012年7月17日 火曜日

 明治維新は、それまでの「士農工商」という身分制度を崩壊させました。身分が一番上だった「士」が無くなったのです。
官軍側の武士であれば、まだ役人になる可能性があるかもしれませんが、幕府側についた藩の武士たちはどうやって生きていくかを真剣に考えなければなりませんでした。

 英語で「武士道」を書いた新渡戸稲造や、これまた英語で「代表的な日本人」を書いた内村鑑三は、これからの世界は新しく欧米の技術を身につけるより生きる術がないと考え、まず英語学校に学び、そしてできたばかりの札幌農学校の2期生として海外の技術を学びました。

 また、渋沢栄一は、これからは「商」の時代だと考え行動しますが、この話はまた明日にします。

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 現在でも、いつの時代でも、変革の時代、激動の時代といわれます。そのような次代を乗り越えて行くには、常にこれから先がどのように生きていくかを考えていく必要があるということを先人たちは教えてくれます。
毎日毎日の日々の出来事に対応するだけでは、いつもの間にか時代遅れとなって、世に取り残されてしまうことになります。

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明治維新と北海道

2012年4月21日 土曜日

 毎年4月になると入社式の様子がニュースになります。そしてトップの話が紹介されます。皆さん、口を揃えたように、激動の時代とか変革の時代と言います。
ここ数年穏やかな年が続いており、今年も昨年と変わらない年となるでしょう、などという挨拶は聞いたことがありません。

 このブログで何度も取り上げている「無常」ですが、常なるものが無いから無常であり、世の中は常に変化しているということです。
無常の世界にいるからには、目標をもって進んでいかないと、すぐに時代に流されてしまいます。

 日本の歴史を振り返ると、265年続いた江戸時代が明治維新により終わり、明治・大正・昭和と続く時代も、1945年の第二次世界大戦の敗戦により、日本はまた大きく変化しました。
明治維新から敗戦まで80年弱。敗戦から現在までが70年弱というところです。時代は40年周期で大きく変わるという説がありますが、もう10年くらいでまた日本が大きく変わるような気がしています。

 敗戦による変化は外からの力による変化でしたが、明治維新は日本の内からの変化でした。
考えてみると、士農工商という身分制度であったのに、一番上位の階級である武士という階層が無くなったのですから、これは本当に大変革だったといます。

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 士農工商という身分制度がなくなった明治維新の時、渋沢栄一は、これからは商人の時代になると信じ、武士に武士道があったように商人にも正しい倫理観がなければならず、またビジネスに関する正しい知識が必要だとし、商人を教育する学校が必要だと考え、その設立に奔走しました。それでできたのが官立の東京高等商業学校であり、現在の一橋大学です。

 その後、高等商業学校、略して高商は、大阪(府立)、神戸(官立)ができ、これらは後に商大となり、三大商大と呼ばれました。さらに、山口、長崎、小樽に官立の高商ができ、長崎、小樽、そして後にできた横浜の三校が三高商と呼ばれました。小樽高商ができたのが今から約100年前の1910年(明治43年)でした。

 一方、札幌には1876年(明治9年)に札幌農学校ができ、わずか8ヶ月ではありましたがクラーク博士が赴任し、開校2期目には、新渡戸稲造、内村鑑三らが入学しました。新渡戸も内村も武家の出身であり、武士という身分が崩壊し、これからは欧米の技術を身につけるしかないと考え、東京外国語学校で英語を学んだ後、札幌農学校へ入学しました。後に、新渡戸稲造は「武士道」を、内村鑑三は「代表的日本人」を英語で書き表しました。

 1880年(明治1年)には、新橋・横浜間、大阪・神戸間に続く、全国3番目の鉄道が札幌・小樽手宮間に開通しました。

 明治の時代、北海道は開拓者精神(フロンティアスピリット)に溢れていました。

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 北海道の開拓時代の様子をみると、函館は松前藩時代から開けてましたし、札幌、旭川、室蘭、滝川、根室などの北海道の開拓地は官主導であり、開拓使の「屯田兵」が主体となっていました。

 しかし、十勝・帯広の開拓にあたったのは、伊豆出身の依田勉三が作った民間会社「晩成社」でした。1881年(明治14年)に来道した依田勉三は、2年後の1883年(明治16年)から帯広に入植し開拓を始めます。
天候不順や野ねずみやイナゴの大群に襲われるなどの被害があり、開拓は思ったようには進みませんでしたが、小麦の栽培や酪農事業、そしてバターの生産など、今の十勝の礎となっています。

 「十勝モンロー主義」という言葉があります。モンロー主義とはアメリカの第5代のモンロー大統領がアメリカとヨーロッパは相互不干渉でいこうと言い出したものであり、十勝モンロー主義とは、他の地域とは関係なく、十勝は十勝の仲間で上手くやっていこうというものです。

 実際、他地区には沢山ある大手のチェーン店が帯広・十勝にはなかったり、帯広・十勝にしっかり根をはり営業している会社も多くあります。

・例えばスイーツ類、全国区の六花亭や柳月、最近下火ですが花畑牧場、全国区ではないけれどもスイートポテトで有名なクランベリーなど、帯広には有力なお菓子屋さん、そして小さな地場のお菓子屋さんも含めて共存しています。
・カレーなら地元の100年企業、藤森食堂系列のインデアンが店舗展開しており古くから愛されてます。
・同様に、焼き鳥なら「鳥せい」、焼肉なら「平和園」が地元で多店舗展開しており、地域にしっかり根付いています。
・北海道ではローカルチャンピオンの北海道新聞ですが、唯一苦戦している地域が、十勝毎日新聞社がある十勝です。
・帯広信金の十勝における預金シェアはほぼ50%、貸出シェアも高率でもちろん管内トップです。

 何もないところから街を作ろうとした依田勉三のDNAが流れているのでしょうか。

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 話を札幌農学校開校2期目の学生だった新渡戸稲造と内村鑑三に戻すします。
新渡戸稲造は、盛岡藩主の用心を勤めた新渡戸十次郎の三男として、1862年に生まれました。江戸から明治に変わったのが1868年で、この明治維新により武士という身分は無くなり、また幕府側であった盛岡藩の武士には明治政府の役人になる道はありませんでした。

 これからの世は、欧米に学び追いつき追い越すことだと考えた稲造は、東京外国語学校で英語を学び、そして札幌農学校へ進みます。その後、東京大学を経て、アメリカ、ドイツへ留学。札幌農学校教授から、台湾へ移り、その後、京都大学や東京大学の教授も兼任します。拓殖大学や東京女子大学の学長を務めるなどして、国際連盟の事務次長となります。

 この間、1900年に英語で書いた「武士道」(BUSHIDO: The Soul of Japan)が世界のベストセラーとなり、当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルト(第二次世界大戦次のルーズベルト大嶺はフランクリ・ルーズベルトでもちろん別人です)は日本を知る良い本だと、知人たちに配ったそうです。

 台湾の総統を勤めた李登輝さんは新渡戸稲造を尊敬し、京都大学農学部へ新渡戸稲造の専門である農業経済を学びに行ったとのことです。

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 内村鑑三は高崎藩藩士の長男として生まれましたが、やはり明治維新で武士という身分がなくなり、生きていく道を新たに探さねばならぬ環境でした。
そして、新渡戸稲造のように英語を学び、札幌農学校の2期生として北海道に来ることになります。その後、アメリカ留学を経て、無教会主義を唱えるキリスト教思想家として活躍しました。

 その内村鑑三が1908年に書いたのが「Representative Men of Japan」(代表的日本人)という英語の本です。これは日本の文化や思想を世界に紹介する目的で、西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の五人の生き様を紹介したものです。

 中江藤樹は儒学を実践に活かそうという陽明学の学者ですし、二宮尊徳がたきぎ運びをしながら読んでた本は陽明学の本でした。?米沢藩主との上杉鷹山、薩摩藩士であった西郷隆盛には当然、武士道の精神があふれ、その武士道は儒学の影響を強く受けています。

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 明治維新というのは、近現代のわが国の歴史をみても、第二次世界大戦の敗戦と同じくらいの大変革でした。
変革というのは、変わって新しいものになることですから、今までにない何かに挑戦することになります。

 明治維新の大変革においては、未開の地だった北海道が新しい可能性の地として、開拓者精神を持つ者達が集まってきました。
日露戦争勝利、日韓併合などの時代背景や、炭鉱の開発なども北海道に人を集めた背景となるでしょう。

 まだキリスト教が認められない時代に、キリスト教をベースに倫理を教えたクラーク博士の精神が息づく札幌農学校からは、新渡戸稲造や内村鑑三など世界へ羽ばたく人材が輩出されました。
「論語と算盤」で有名な明治の大実業家、渋沢栄一は、士農工商の時代の次は、商の時代だということで高等商業学校設立に奔走し、東京高等商業学校(後の一橋大学)を設立しました。そして、官立5番目の高商が小樽高等商業学校(後の小樽商科大学)が設立され、多くの卒業生が実業家として活躍しています。

 明治時代の北海道は開拓者精神に溢れていたのもの思われます。

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明治維新と北海道 6.変革と挑戦

2012年4月20日 金曜日

 明治維新というのは、近現代のわが国の歴史をみても、第二次世界大戦の敗戦と同じくらいの大変革でした。
変革というのは、変わって新しいものになることですから、今までにない何かに挑戦することになります。

 明治維新の大変革においては、未開の地だった北海道が新しい可能性の地として、開拓者精神を持つ者達が集まってきました。
日露戦争勝利、日韓併合などの時代背景や、炭鉱の開発なども北海道に人を集めた背景となるでしょう。

 まだキリスト教が認められない時代に、キリスト教をベースに倫理を教えたクラーク博士の精神が息づく札幌農学校からは、新渡戸稲造や内村鑑三など世界へ羽ばたく人材が輩出されました。
「論語と算盤」で有名な明治の大実業家、渋沢栄一は、士農工商の時代の次は、商の時代だということで高等商業学校設立に奔走し、東京高等商業学校(後の一橋大学)を設立しました。そして、官立5番目の高商が小樽高等商業学校(後の小樽商科大学)が設立され、多くの卒業生が実業家として活躍しています。

 明治時代の北海道は開拓者精神に溢れていたのもの思われます。

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明治維新と北海道 4.改めて新渡戸稲造のこと

2012年4月18日 水曜日

 4月16日の「明治維新と北海道 2.士農工商の崩壊と北海道」で、若干触れましたが、札幌農学校開校2期目の学生に新渡戸稲造と内村鑑三がいました。
新渡戸稲造は、盛岡藩主の用心を勤めた新渡戸十次郎の三男として、1862年に生まれました。江戸から明治に変わったのが1868年で、この明治維新により武士という身分は無くなり、また幕府側であった盛岡藩の武士には明治政府の役人になる道はありませんでした。

 これからの世は、欧米に学び追いつき追い越すことだと考えた稲造は、東京外国語学校で英語を学び、そして札幌農学校へ進みます。その後、東京大学を経て、アメリカ、ドイツへ留学。札幌農学校教授から、台湾へ移り、その後、京都大学や東京大学の教授も兼任します。拓殖大学や東京女子大学の学長を務めるなどして、国際連盟の事務次長となります。

 この間、1900年に英語で書いた「武士道」(BUSHIDO: The Soul of Japan)が世界のベストセラーとなり、当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルト(第二次世界大戦次のルーズベルト大嶺はフランクリ・ルーズベルトでもちろん別人です)は日本を知る良い本だと、知人たちに配ったそうです。

 台湾の総統を勤めた李登輝さんは新渡戸稲造を尊敬し、京都大学農学部へ新渡戸稲造の専門である農業経済を学びに行ったとのことです。

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明治維新と北海道 2.士農工商の崩壊と北海道

2012年4月16日 月曜日

 江戸時代から明治時代へと時代は移り、幕府や藩の崩壊により侍という身分がなくなり、士農工商といういう身分制度は崩壊しました。

 その時、渋沢栄一は、これからは商人の時代になると信じ、武士に武士道があったように商人にも正しい倫理観がなければならず、またビジネスに関する正しい知識が必要だとし、商人を教育する学校が必要だと考え、その設立に奔走しました。それでできたのが官立の東京高等商業学校であり、現在の一橋大学です。

 その後、高等商業学校、略して高商は、大阪(府立)、神戸(官立)ができ、これらは後に商大となり、三大商大と呼ばれました。さらに、山口、長崎、小樽に官立の高商ができ、これらが三高商と呼ばれました。小樽高商ができたのが今から約100年前の1910年(明治43年)でした。

 一方、札幌には1876年(明治9年)に札幌農学校ができ、わずか8ヶ月ではありましたがクラーク博士が赴任し、開校2期目には、新渡戸稲造、内村鑑三らが入学しました。新渡戸も内村も武家の出身であり、武士という身分が崩壊し、これからは欧米の技術を身につけるしかないと考え、東京外国語学校で英語を学んだ後、札幌農学校へ入学しました。後に、新渡戸稲造は「武士道」を、内村鑑三は「代表的日本人」を英語で書き表しました。

 1880年(明治1年)には、新橋・横浜間、大阪・神戸間に続く、全国3番目の鉄道が札幌・小樽手宮間に開通しました。

 明治の時代、北海道は開拓者精神(フロンティアスピリット)に溢れていました。

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札幌農学校と新渡戸稲造 16.教師の役割

2012年3月9日 金曜日

 新渡戸稲造の著書「武士道」(岩波文庫、1984年、588円)を台湾総統を務めた李登輝さんが解説している「「武士道」解題 ノーブレス・オブリージュとは」(小学館文庫、2006年、600円+税)より、新渡戸稲造や札幌農学校、そして「武士道」の紹介をしています。

 「武士道」の「武士の教育および訓練」の章の解説で、李登輝さんは自分が京都大学で先生から「ゆっくりやりなさい」とアドバイスを受けた例をだし、次のように書いています。

「要するに、先生は、私に農業経済学に関する知識を教えようとしたのではなく、「人間としての生き方」を暗喩してくれたのです。すなわち、私の農業経済学は私だけのものであり、私自身がそのフロンティアを自分自身で切り拓き、パイオニアとして独力で突き進んでいかない限り、絶対に獲得できない、ということを意味していました。」

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 今日、学科主任をしている札幌医療福祉デジタル専門学校の卒業式があり、謝恩会の席で私がスピーチする機会がありました。話のポイントは次の2点です。
1.世の中は常に変化する「無常」である。学校で学んだ知識はスタートラインに立つためのもので、これからは自分で学んでいかなければならない。
2.「無常」の世界でも変わらない「原理原則」があり、それが「哲学」である。「自分がなぜこの世に生をうけたのか」「人生の目的はなにか」という問いに答えられる人間になって欲しい。

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