2013年3月 のアーカイブ

感覚の違い

2013年3月31日 日曜日

 新聞を読んでいて疑問に思い、何度か新聞社にその疑問をウェッブサイトの問い合わせフォームを使って知らせたことがあります。

 例えば、北海道新聞木曜日朝刊の「トップの決断 北の経営者たち」というシリーズですが、毎回、次回はどこそこ会社のだれそれさんですとの紹介がありますが、日付や連載曜日が書かれてないため、その次回がいつなのかは、この連載が毎週木曜日であると知っている人にしかわかりません。
そのことを問い合わせてみましたが、返事はなく、紙面の変化もありませんでした。

 昨日、日本情報経営学会と経営情報学会の北海道支部の合同研究大会が北海商科大学であり、北海道新聞社の方から道新のモニター制度についてのお話がありました。
そのお話の中で、広告や編集など各部局ごとの垣根が高いことが指摘されていました。そうであれば、問い合わせを受ける窓口と、その問い合わせの対象である編集局とのコミュニケーションが双方向ではなく、こういう問い合わせがありましたと一方向だけに流れ、その反応がフィードバックしていく仕組みがないのかなと思いました。

 お話終了後、直接、問い合わせの返答について質問してみたら、電話での問い合わせには答えるが、モニターからの意見や問い合わせフォームからのものには原則答えていないとのことでした。
いろいろ事情はあるのでしょうが、このあたりの感覚が一般の会社とちょっと違うなと感じます。

 なお、最近、朝日新聞の記事にも疑問のある記述があり問い合せましたが、こちらもなしのつぶてです。




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人生は砂時計

2013年3月30日 土曜日

 最近、このブログに「砂時計 意味」というキーワード検索でのアクセスが増えてます。
グーグルで「砂時計 意味」で検索すると、トップ表示がこのブログの「人生は砂時計 もう一つの意味」という記事です。
検索結果をいろいろ見てみると、そのキーワードでの検索が増えた理由がわかるのですが、私のブログ記事とは別件のようです。

 砂時計というのは上の砂が下へ落ち限られた時間を知らせるものですが、まさに人生そのものです。
限られた生が時と共に減少し、死にいたります。アナログの時計が永遠にぐるぐる回るのとは違います。

 そして、砂時計の落ちた砂はなくなるのではなく、下に溜まります。
人生という時間を使って何を積み上げるか、これがそれぞれの人生に問われているのだと思います。

 限られた資源(ここでは時間)を、優先順位の高い大事なことに、どう配分していくか。
これは会社経営と同じ問題です。

 そうであれば、人生にも、経営理念ならぬ人生理念、経営方針ならぬ人生方針、経営計画ならぬ人生計画が必要ですね。
と書いていいたら、マンダラ手帳がそうであったのだと気づきました。




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ロビンソン・クルーソウの秘密3 資本主義の精神

2013年3月29日 金曜日

 昨日は「社会科学における人間」(大塚久雄 著、岩波新書、1977年、798円)より、ロビンソン・ クルーソウの生活行動を紹介し、それは、
「将来の生活上の必要 −社会的に翻訳すれば需要でしょう− を勘案して、その必要に応じて、道具と資材の組み合わせ、それぞれの部門への仕事の割り振りを決定している。裏から言えば、そういうさまざまな仕事へ自分 の労働−つまりは労働時間−を振り分けている。言うならば、人的ならびに物的な資源をきわめて合理的に配分している。資源配分を実に合理的に実行してい る、というわけです。」
というものだったと紹介しました。

 小麦の栽培やヤギの飼育にみられるように、それらは消費量より多い生産となり、余剰を産みます。この余剰を蓄積していくわけですが、これはマルクスのいう拡大再生産ということになります。
このようにロビンソンは見事な経営者であったといえます。

 また一方、ロビンソンは労働者でもあります。それも合理的な経営を支える、合理的な仕事で労働を遂行しうる資質を備えた労働者です。

 このような合理的・経営的な思想と行動の様式をして、マックス・ウェーバーに、ロビンソンの行動様式のなかにはすでに透徹した目的合理的思考が見られる、あるいは、形式合理的思考がすでにすぐれて前面に立ち現れていると、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に書かせたのです。

 マックス・ウェーバーのいう「資本主義の精神」とは、ロビンソンの合理的・経営的な精神だったのです。




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ロビンソン・クルーソウの秘密2 ロビンソンの行動

2013年3月28日 木曜日

 昨日、「社会科学における人間」(大塚久雄 著、岩波新書、1977年、798円)という本を取り上げ、
「社会科学の祖と呼ばれるマックス・ウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を著しましたが、その資本主義の精神とは、ロビンソン・ クルーソウの生活行動がモデルだったと、この本「社会科学における人間」に書かれており、非常に興味深い話ですので、今回からは何回かに分けてご紹介しま す。」
と書きました。

 ロビンソン・クルーソウは漂流した無人島で次のような行動をとります。
・難破船から小麦を見つける。さしあってはそれを食べるが、消費に終わらず、畑を耕し小麦を撒き育て、当初の量より多い収穫を得る。
・やはり難破船から鉄砲と火薬を持ってくる。裏山のヤギを仕留めるが、これでは火薬が尽きると困ると考え、罠でヤギを生け捕り飼育するようになる。
・その火薬も一箇所に置いていては大雨で水をかぶったさいなどいっぺんにダメになると考え、分散し、リスクに備える。

 このような行動を、「社会科学における人間」の著者、大塚久雄さんは次のように語っています。
「将来の生活上の必要 −社会的に翻訳すれば需要でしょう− を勘案して、その必要に応じて、道具と資材の組み合わせ、それぞれの部門への仕事の割り振りを決定している。裏から言えば、そういうさまざまな仕事へ自分の労働−つまりは労働時間−を振り分けている。言うならば、人的ならびに物的な資源をきわめて合理的に配分している。資源配分を実に合理的に実行している、というわけです。」




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マルクスが日本に生まれていたら 3.はしがき 後半

2013年3月27日 水曜日

 昨日も触れた出光佐三さんの「マルクスが日本に生まれていたら」ですが、今日もその一部を紹介します。
今日は「はしがき」の後半を紹介します。

____  転載ここから _____

 二、ところが両者がその理想へ到達するために歩かせられた道は、全然正反対であった。マルクスは階級的対立闘争の道を歩かせられたのに対して、出光は人類愛の上に立った互譲互助・話の道を歩かせられた。
 三、それならどうして、マルクスと出光は正反対の道を歩かせられたのか。西欧の民族は、我欲・利己・征服・搾取の祖先にはじまり、本来、物を中心として対立闘争する思想的土壌の上に育まれた民族である。したがってマスクスは、出光と同じところから出発しながら、階級闘争の道を歩まざるをえなかったものと考えられる。
 一方、日本民族は虫の祖先にはじまって、その祖先から愛と和のあり方を教わり、そして階級にとらわれず、民族全体の平和・福祉の道をつくってきた。われわれは日本人として生まれ、日本人として育ち、この話の道を歩いているにすぎない。出光が今、出光の経営は日本人の経営であると言いつつ、日本人に帰れとか、日本人の世界的氏名とか言っているのも、この基礎から出ている。
 大体、このように要約できるのではないかというのが、私たち社長室での結論となりました。そこで、今年の夏、軽井沢に静養中の出光社長を訪ねて、いくつかの質問を提出して研究会を開きました。それをまとめたのがこの小冊子です。
 マルクスの根本思想と対比して、出光社長の考えが非常にはっきり出ており、大いに参考になると思いますので、社内従業員用資料として配布します。
昭和四十年十一月
出光興産 社長室

____  転載ここまで _____

著作権などもろもろのことを考えても、この本の内容を世に残すことは意義のあることだと信じ、このブログで少しずつ紹介しようと思います。
紹介にあたっては、私が要約すると本意を損ねる可能性もありますので、原文そのままをご紹介します。
なお、関係する人たちから著作権上などの問題を指摘された場合は、素直にその指摘に対処する所存です。

*** 新装版が発売されましたので、転載は上記までといたします ***




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ロビンソン・クルーソウの秘密1 資本主義の精神はロビンソンだった

2013年3月27日 水曜日

 出光興産を興した出光佐三さんが「欧米は物の国であり、日本は人の国である」と述べた話しを以前紹介しました。
経済学や経営学などはまさしく「物の国」で生まれ育った学問であり、その「物の国」の人の見方に興味をわき、「社会科学における人間」(大塚久雄 著、岩波新書、1977年、798円)を読んでいます。

 やはり、社会科学の諸理論はヨーロッパやアメリカの先進諸国の最盛期の経験を主要な出発点として作られてると述べられており、そのため、途上国などそうでない地域ではどうもうまくいかず、割り切れないところろがあると書かれています。

 この本の1章は「ロビンソン物語に見られる人間類型」というタイトルなのですが、ロビンソン物語とは、皆さんご承知のロビンソン・クルーソウの無人島暮らしの物語です。
実はこの物語はたんなる子供向け小説ではなく、著者ダニエル・デフォウが17世紀後半から18世紀前半、つまり産業革命直前のイギリス社会の様子を寓した物語なのでした。

 社会科学の祖と呼ばれるマックス・ウェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を著しましたが、その資本主義の精神とは、ロビンソン・クルーソウの生活行動がモデルだったと、この本「社会科学における人間」に書かれており、非常に興味深い話ですので、今回からは何回かに分けてご紹介します。




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マルクスが日本に生まれていたら 2.はしがき 前半

2013年3月26日 火曜日

 昨日も触れた出光佐三さんの「マルクスが日本に生まれていたら」ですが、今日もその一部を紹介します。
今日は「はしがき」の前半を紹介します。

____  転載ここから _____

 はしがき

 創業以来、人間尊重の精神のもとに、五十四年を経過したわれわれ出光を内部から見ますと、単に、事業経営のあり方という狭い範囲を越えて、人間の在り方・社会のあり方というものに対して、大きな示唆を与えるものが出来上がっているように思われます。ことに、現在のように世界の全人類が対立闘争をして、混乱と行き詰まりを来しているとき、小さいながらも、われわれ出光の仲良く手を握り合ってゆくあり方が、その解決に尊い示唆を与える存在になってきているのではないか、とも考えます。

 そこで今年の春ごろから私たち社長室では、出光のあり方とは非常に対照的と予想されるマルクスの考え方をとり上げて、両者を比較研究してみました。その結果は、非常に簡単な結論にまとめることができました。すなわち、
一、マルクスと出美とは、その出発点も、理想とする到達点も同じである。
<出発点> マルクスは資本家階級の搾取に反対して出発したが、出光社長も学生時代、大阪の金持のあり方に反感をもち、「黄金の奴隷たるなかれ」と言って出発している。
<到達点> マルクスは搾取のない、人間が人間らしく生活できる社会をつくることを目標としたが、出光も人間の尊厳を尊重して、人間が奴隷でない社会、人間が中心となって仲良く平和に暮らす社会を目指している。

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マルクスが日本に生まれていたら 1.添状

2013年3月25日 月曜日

 このブログでも何度か紹介しましたが、作家百田尚樹さんの小説「海賊とよばれた男」は、出光興産を興した出光佐三さんの物語です。
その小説の終盤に、出光佐三さんが「マルクスが日本に生まれていたら」という本を書いたと記されています。
アマゾンで調べると、1966年(昭和41年)に春秋社から発行されていますが、「現在お取扱いできません」とのことで入手できません。
そこで小樽商科大学の図書館を調べたところ、1965年(昭和40年)11月発刊の「マルクスが日本に生まれていたら」があったのですが、これは一般用の書物ではなく、社内従業員用のものでした。しかしながら、希望する一般の人に配布しており、著作権などもろもろのことを考えても、この本の内容を世に残すことは意義のあることだと信じ、このブログで少しずつ紹介しようと思います。
紹介にあたっては、私が要約すると本意を損ねる可能性もありますので、原文そのままをご紹介します。
なお、関係する人たちから著作権上などの問題を指摘された場合は、素直にその指摘に対処する所存です。

今日は、この本に挟まっていた添状の内容を紹介します。

____  転載ここから _____

 贈呈

 新春を寿ぎ、本年も貴台のますますの御検討と御活躍をお祈りします。
 さて、弊社ではこのたび、社内従業員用として小冊子「マルクスが日本に生まれていたら」をつくりました。最近、弊出光社長は「日本民族は一日も早く本来の日本人に帰って、世界の人々に平和と福祉の在り方を教えなければならぬ。それが日本人の世界的使命である」との信念をもって機会あることに説いています。
 この小冊子は、マルクス思想を素材としながら、弊社長が日頃の自分の信念を政治、教育、経済等々あらゆる面に亘って吐露したものであり、いわば八十年の人生と五十五年の事業経営の体験を基礎とした、弊社長の思想の集大成ともいうべきものと私どもは考えております。
御一読頂き御高評を賜れば望外のよろこびに存じます。

 昭和四十一年二月
 出光興産株式会社 社長室

 なお、この小冊子を御希望の方は、最寄り当社支店、出張所までお申し越し下されば進呈致します。

____  転載ここまで _____




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経営学における「物の国」と「人の国」の違い

2013年3月24日 日曜日

「物の国」、「人の国」というのは以前紹介した出光佐三さんの言葉です。

3月16日の「判断基準を持つということ 6.経営戦略と判断基準」では次のように書きました。

「出光興産を興した出光佐三は「マルクスが日本に生まれていたら」で、欧米は「物の国」であり、日本は「人の国」だといいます。「物の国」の理論で は、より少ない労働でより多くの報酬を得ようとするでしょうが、「人の国」は互譲互助の精神で世のため人のために一生懸命に働くことが美徳だったはずで す。

「物の国」を市場とする企業や、「物の国」の企業と競い合う企業であれば、「物の国」の経営戦略を学ぶことも必要でしょう。
ですが、「人の国」の中で、地域と密着して活動している中小企業の場合、「物の国」の経営戦略を盲信することは危険だと思います。」

昨日と一昨日、20回目の研究報告会を行い、出席してくださった方に次の質問をしました。
「儲かっている会社」と「儲かっていない会社」の違いをできるだけ多くあげてください」

これは何をあげれば正解というのではなく、リストアップされたものがどのようなものなのかを確認するための質問です。
その確認ポイントは、利益の源泉を会社の内部にあるとみるか外部にあるとみるかです。

「物の国」である米国のマイケル・E・ポーターの「競争戦略」は利益の源泉は企業外にあるというポジショニング・アプローチに分類されます。
「人の国」である日本で行っている私の研究報告会に参加している方の回答はほとんどが利益の源泉は企業内という観点の答えでした。




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考え方を共有するために 6.考え方の考え方

2013年3月23日 土曜日

 今週は、社内で「考え方を共有するために」必要なことについて書いています。

 昨日は、会社内で同じ考えを共有するのに押しつけではうまくいかず、皆がなるほどその通りだ、そういう考え方でやっていくべきだと思われるようにしなければならないと書きました。

 ところで皆さなんは考え方を統一するということに違和感を感じないでしょうか?
人それぞれの考え方が違うのは当たり前で、それを思想統制しようというのは専制的だ、日本ではそんな思いを持つ人が多いのではないかと思います。
「正しい指導者の考え方を皆で共有する」ことに違和感を感じるのは、戦後の教育で独裁政治が悪であると教えた結果であろうと思います。

 日本国憲法の第19条にも「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とありますが、これは国レベルでの話です。
政党や宗教団体では考え方が一緒なのが普通です。
民間の一般企業の場合ではどうでしょう?考えがばらばらでも良いのでしょうか?

ウィキペディアにようると、最高裁で「企業は雇用の自由を有し、思想・信条の自由を理由として雇入れを拒んでも違法とはいえない。」という判決例があるそうです。




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