盛和塾稲盛塾長は、利己を抑えると利他がでてくるとおっしゃいます。
人の心の本来は、「真、善、美」であって美しい「利他」の心に満ち溢れているのだが、肉体を持ったときから「利己」の心に支配されている、そのため「利己」を抑えれば、その分のスペースに「利他」の心が現れてくるとおっしゃいます。
スリランカ初期仏教(ブッダの教えを実践する仏教)の長老、アルボムッレ・スマナサーラさんは、まず自分が良くなると想うこと、そして身の回りの人が良くなることを想うこと、さらに生きとし生けるものすべてが良くなることを想うこと、とおっしゃいます。
自分が良くなくて他人だけが良くなるのは、ひがみやねたみに通じるということです。
一見、稲盛塾長とスマナサーラさんとで反対のことを言っているようですが、そうではありません。
稲盛塾長も、自分の利益をを全否定されているわけではなく、もともと人間は「利己」にあふれているのだから、ぐっと抑えるくらいでちょうど良い「利己」になるという考えです。
また、スマナサーラさんも、他人の幸せを祈るのは、エゴを落とすためだともおっしゃってます。
「利己」を押さえ、「利他」の心をもつ。いわゆる「忘己利他」の精神ですが、そのためには、日々、そのことを思い、忘れないようにしていかねばなりません。私は7月の終わりくらいから、日に3回、自宅、会社、そして神社で、スマナサーラさんが教える「慈悲の瞑想」(自分の幸せ、身の回りの人の幸せ、生きとし生けるものの幸せを祈る、「忘己利他 そして、みんなが幸せに」参照)をしています。
仏教の「無常」を本当に理解するのは悟りの境地に達していなければならないそうですが、最近、「無常」の理論的なことを頭で理解できかけてきたように思います。
常に変化する世の中では、その時その時の判断が大切で、その判断基準には、自分も良く相手も良いという考えが大事です。日々、「忘己利他」の精神を忘れずにいれば、その思いが良き行動をつくり、人生を築いていきます。そして、さらにその良き行動が因となり、良き結果をつくる、そんな善の循環につながればと良き人生が送れるのではないかと思います。
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